すべての事物は多様であることを前提とする

【001番:コップは何に使える?】

 編集稽古でまず大切なこと、それは自分のアタマの中で何が起こっているのかを意識的に観察し、トレースし、取り出せるようになることです。

 001番では、毎日のように使っている「コップ」を通し、こうした稽古を行ってもらいます。「コップ」という、よく知っているはずの情報が、編集の対象になった途端、アタマのなかで意味やイメージを多様に繰り広げていくのが分かるはずです。単なる連想にとどまらず、言い換えたりさまざまなシーンを思い浮かべたりすることで、「コップ」という情報が意外なものに変換されたり、意味や用途を劇的に変えていくのが感じられた人もいるのではと思います。

 つまりこの稽古は、情報というものが、アタマのなかで、自由に「持ちかえ」たり「乗りかえ」たり「着がえ」たりできるものだということを、確認してもらうためのものなのです。もちろんこれは「コップ」にかぎったことではありません。私たちは、どんなモノやコトの中からでもたくさんの情報を自由に取り出すことができるのです。
 「すべての事物は多様である」ということは編集の大前提ですが、それは、私たちのアタマの中の「レパートリー」(倉庫)に、すでに多様な情報が詰まっていて、たくさんの関係線で繋がりあっているからです。まさに「情報はひとりではいられない」のです。
 レパートリーとは、「宝庫」とも訳せる言葉ですが、私たちはふだん、当座の目的に縛られるあまり、せっかくの「宝の山」をほとんど眠らせてしまっている状態にあります。これほどもったいないことはありません。ほんの一部しか使えていないのです。アタマの中のレパートリーを充分活用できるようになることとアタマの外にある事物の多様な可能性が発見できるようになることは、実は同じことです。編集とは「何かを変えていく」ことですが、何であれモノゴトを変えていくには、まず自分が変わらなくてはいけません。自分の内なる「宝庫」に気づいたとき、情報は「データ」から「カプタ」へと変わります。

 コップは私たちにとって「既知の情報」 と言えるものでしたが、未知の情報に遭遇したときでも、アタマの中のレパートリーにある情報を次々に検索し、機能・ 状況・使い道・形態・材質・種類などといった面から必要な情報を導きだしていく編集プロセスは同じです。そのようにして、ある情報を「われわれにとって必要な情報」にすることを、一般に「知」というのです。

【参考文献】

『知の編集術』 
 第4章:編集技法のパレード
 「情報はひとりでいられない」
 (134ページ)
『知の編集工学』 
 第2章:1 考え方とは何か
 旧版 :53ページ
 増補版:62ページ千夜千冊 1603夜

【参考】
『人工知能は人間を超えるか』
松尾豊